動乱

思えばこの数年間で国は一変してしまったように思える。発端はどこだったのか。たぶん、数年前に始まったあの戦争だろう。

 

 

それは何の前触れもなく始まった。東の大国が、祖国の統一を掲げて隣国へ侵攻した。海軍と空軍による総攻撃が行われた後、陸軍による強襲上陸作戦が始まったと聞いた。隣国の守備隊は上陸してくる敵軍を必死に押さえ込んでいたが、もはや陥落は時間の問題だった。

 

 

西側の大国と我が国は直ちに侵攻をやめるよう警告した。もし侵攻を続ければ、軍事介入をすると宣言した。しかし、これがさらに戦線を拡大することになってしまう。我が国には西の大国が保有する軍事施設が全国にあった。東の大国はこれを脅威とし、軍事施設がある都道府県にミサイル攻撃を行った。沖縄、岩国、横須賀への攻撃が初めに行われ、続いて東京、大阪、横浜、名古屋、仙台、広島、福岡へもミサイルが投下された。そして最後は隣国と同様、強襲上陸によって本土を占領されることとなる。我が国の海軍も必死に抵抗したが、すでにミサイル攻撃によって本土の飛行場が壊滅し、さらに海軍の航空母艦は貧弱で、制空権は一日で敵の手に落ちた。これにより、空からの援護なしで戦った海軍は瞬く間に制海権を失った。

 

 

 

その後は地獄のような本土決戦が待っていた。敵はまず九州沖縄、そして大阪、名古屋、東京へ上陸。我が国の陸軍と、最後は市民まで動員されての激しい地上戦が行われた。前述のとおり制空権はすでに奪われていたため、空爆によって全国の都市は多大な損害を受けた。さらに敵は総勢100万を越す兵力で各都市を蹂躙した。我が国は到底数で敵わず、数日間昼夜を問わず続いた戦闘の後、ついに東京が陥落。すでに継戦能力を失っていた我が国は、東京奪還を試みるも失敗。翌日、降伏した。

 

 

 

しかし戦いは終わらなかった。自国の軍事施設が攻撃を受けた西の大国は報復として東の大国に核攻撃を行った。東の大国もこれに対抗して核攻撃を行い、両国の本土は壊滅的打撃を被った。ここまでの戦いはほぼ互角だったが、西の大国は次の一手を用意していた。それは、宇宙空間から東の大国を核攻撃するという空前絶後の作戦だった。地上ではなく、宇宙から大量の核ミサイルが東の大国に降り注ぎ、これにはもはや対抗することができず、東の大国はほぼ壊滅状態に陥った。さらに西の大国は総力を挙げて我が国の本土に上陸を開始。両国の陸海空軍は多大な損害を出すも、数か月におよぶ戦いでようやく東京、大阪を奪還。本土が壊滅し、占領地をも奪われた東の大国はもはや戦争の継続は愚策と判断し、講和条約に署名した。講和では、まず我が国からの軍の完全撤退と隣国を西の大国の被管理国として独立を認めること、核の放棄、海空軍の解体、陸軍の十分の一削減、東の大国にあるいくつかの街を自由都市として独立させ、国連の管理下に置くこと、賠償金の支払いなどが取り決められた。こうして、長く続いたあの戦争はようやく終わりを告げた。だが、それで我が国に平和が戻るわけではなかった。