朝風

こんな朝早くに目が覚めてしまった。冷たい隙間風が流れ込んできて異様に寒い。眠気はあるが、一人で寝なおすのは少し心もとない。仕方ない。あいつでも呼んでくるか…そう思って俺はベットから出た。

 

 

 

一階では家族と使用人たちが忙しく動き回っていた。朝食の用意、屋内の掃除、庭の手入れなどこの時間からご苦労なことだ。俺には関係ないけど。ひとまず邪魔はしないようにして、俺は目当ての相手を探した。

 

 

 

程なくして、その相手は見つかった。相手というのは俺の姉、この家の長女のことである。声をかけると、姉は最低限の所作で振り返り、無表情で言った。

 

 

 

「何か用?」

 

 

 

こんな時間に目が覚めて、眠れない。そう返す。

 

 

 

「しょうながいなぁ」

 

 

 

姉は少し息をついて、俺の手を取り歩き出す。俺は手を引かれるまま、来た道を戻った。ふと子供の頃にもこんなことがあったような、そんな記憶が脳裏をかすめた。

 

 

 

 

自室に戻ると、俺は再びベットに横になる。姉は椅子を持ってきてそばに座り、俺の胸部、心臓と肺があるあたりを手で撫でて言った。

 

 

 

「あんまり眠れない日が続くなら言ってね」

 

 

 

大丈夫だ。と俺は答える。朝早く目が覚めるのは寒い季節だからだ。温かくしていればすぐに寝付ける。

 

 

 

「そう」

 

 

 

と姉は言うと、胸に置いた手を離す。そしてホッとしたようにため息をつき、少し黙ってから言った。

 

 

 

「そういえば今日、昼からお父さんたちいないよ」

 

 

 

うん、と返事をする。両親が家を空けるのは珍しいことではない。特に母は急に何も告げずに何日も旅行に出たりするから、行動が予測しづらかった。

 

 

 

「最近はこの辺でも不審者が多いから、戸締り気を付けないとね」

 

 

 

「不審者?」

 

 

 

「町内会の人も気を付けてくださいって言ってた。駅周辺は特に不審者や外国人が増えてきてるから気を付けないとって。この辺でもそういうのが出てるから、夜は絶対一人で出歩いちゃ駄目だよ」

 

 

 

それを聞いて俺は複雑な気持ちになった。外国人を不審者と同列に並べる。本当は良くないことだが、この辺ではそれが普通だった。外国人だと言うだけで怖いとか怪しいとか、あそこの団地は外国人が多いから近づくなとか言われる。挙句に夜出歩くなとか行動も制限される。本当ならそういう状況にNOを言わなければならないのだが、姉に対してはあまりそうも言えなかった。

 

 

 

「お父さんとお母さんがいない間は私たちがこの家の番をしなきゃいけないから。頼りにしてるよ」

 

 

 

姉はそう言って微笑む。今は何も考えないようにしよう。そう思って俺はただ目を閉じた。もうしばらく眠らなければならない…

 

 

 

税制改革の議論は行き詰まり、国会の機能が停止して二か月。この頃になってようやく議事堂前での騒乱も下火になり、社会が少しずつ平穏を取り戻しつつあった。止まってしまった国会を再び動かすため、与党幹部らは野党に協議を申し入れる。野党側は当初難色を示したが、一人、また一人と協議に応じる議員が現れ、やがて過半数の議員が協議に応じることとなった。

 

 

 

与党側は協議に応じた野党議員をどうにか味方に引き入れるため、様々な案を提示した。野党側もこれに対して対案を示し、議論は一昼夜の長きにわたって行われた。その結果、我が国は高福祉高負担を受け入れること、そのために消費税を段階的に30%へ引き上げること、年金、生活保護の生活扶助の廃止、対案として年所得500万円以下の国民への月6万円のベーシックインカム導入、これらの政策を掲げての解散総選挙を約束し、協議は終了した。協議終了後、与野党はただちに選挙態勢に入る。我が国の命運を決める選挙が近づきつつあった。 

 

 

 

選挙は与党が単独過半数を得、絶対安定多数には及ばなかったもののどうにか勝利を飾った。これで政権は国民の信託を獲得しひとまず終わりを告げる、誰もがそう考えていた。

 

 

 

悲劇は投開票の翌日に起きた。東京、大阪、名古屋、これらの都市で突如、武装した十数万の暴徒が軍の施設、警察署などを襲った。暴徒の大半は共産党員と外国人からなり、我が国はこのときをもって事実上の内戦へと突入することになる。この動きはすぐに全国に波及し、多いところで十万人以上の暴徒が兵を挙げた。背後には大陸の各都市からの支援があったと言われている。

 

 

 

政府は直ちに軍、警察を出動させ鎮圧にあたる。だが、戦争によって多くの兵力、装備を失っていた政府はこの戦いに苦戦を強いられた。結果、東日本においては政府側が勝利したものの、反乱軍は新潟に逃げ延びて徹底抗戦を続ける。西日本においても政府側が勝利したものの、広島、山口では反乱軍が徹底抗戦を続け、西日本における兵力の大半を失った政府側は両県の放棄を決定。それでも反乱軍は両県に留まらず、守りの手薄な鳥取、島根を占拠。そのまま岡山へ進軍し、政府軍は敗走。こうして、政府は中国地方と新潟を失う。このときをもって我が国は政府側と反乱軍側に分割されることとなったのである。

治世

朝日が眩しい。今日もいつもと変わらぬ朝が来る。

目を擦りながら時計を確認すると、時刻は8時10分前を指していた。私は嫌々ながらベットから体を起こし、カーテンを開け、朝の空を仰ぎ見る。雲一つない快晴の青空が遥か遠くの山の向こうまで続いていた。


こんなによく晴れた気持ちのいい朝なのに、心の中は憂鬱で仕方ない気持ちだった。なぜなら今日は月曜日。この日は一週間のうちで最も憂鬱で気が滅入る。なぜなら、今日からまた学校が始まるから。そう思っただけで気が重い。何もかも嫌になりそうな気分になる。

気だるい体を引きずるように部屋を出て階段を降り、台所へ。戸棚から食器を取り出し、いつものように買い置きのパンで朝食を摂る。美味しくも何ともない食事。はっきり言って食欲はほとんどなかった。もともと、平日の朝はだいたいこんな感じ。学校に行きたくないと、そう思わない日はほとんどない。まだ残る眠気と憂鬱な気分が体に重くのしかかり、食事を口に運ぶのも面倒くさくなってくる。

 

 

 

…私は学校が嫌いだ。今まで学校が好きだと感じたことがない。仲のいい友達もいないし、教師だって嫌な連中ばっかりだ。本当に、学校のことを考えるだけで不愉快になってくる。できれば考えたくもないが、いくら考えないようにしたところで学校がなくなるわけではない。結局、いつも朝がくるたびにこうして憂鬱な気分になってしまう。毎日がその繰り返しだ。つくづく嫌になってくる。

 

 

 

本当に、私の高校生活って何なんだろう…こんなに嫌な毎日を過ごすくらいなら、初めからあんなとこに入学するんじゃなかった。受験のときに私は滑り止めも含めて何校かに合格していたから、別の学校を選ぼうと思えば選べたのだ。最終的には家から近いからという理由で今の学校に入ったが、それがそもそもの間違いだったのだろうか?もし仮に別の学校を選んでいたら、こんなことにはならなかったのだろうか?

 

 

 

…わからない。たぶん、今の学校を選んだのは間違っていた可能性が高いだろう。けど、推測できるのはそこまでだ。他の学校にしていたらどうだったかなんて皆目見当がつかない。想像すらできない話だ。

 

 

 

第一、仮にそれが今わかったところでどうにもならない。あのときこうしていればなどと言ったところで、時間を巻き戻せるわけではないのだ。こうして四の五の考えている間にも、時間は容赦なく過ぎていく。もはや、ゆっくり物思いに耽る暇すら与えてはくれない。そろそろ行かなくては…

 

 

 

私は食べ終えた食器を手早く片付け、洗面所で歯を磨いて顔を洗い、そして自室に戻って制服に着替えて鞄に教科書、ノートを少し乱雑に詰め込む。少し遅い時間だが、今すぐ出れば、それほど急がなくても間に合うだろう。遅刻するといろいろ面倒だし、行くか…とにかく今は余計なことは考えないようにしよう。どうせ今日も憂鬱な一日なのだから、いっそ何も考えない方が楽だ。全てが面倒くさい。早く今日一日が終わってくれるようにと祈りながら私は靴を履いて玄関を出た。

趨勢

右派自治政権が長年の悲願である政府与党の地位を手にした年、我が国は旧世紀時代から積み上げてきた天文学的金額の国債を返還するという国難に直面した。如何にして国債を返還すべきか、政府内では連日、昼夜を問わず会議が開かれ、議員たちが侃々諤々の議論を繰り広げた。結果、大方の方針が決まるまでにはそれほど時間はかからなかった。

 

 

 

結論は、所得税および法人税の大幅な増税。そして消費税の30%への引き上げ。他に公共事業費の引き下げ、議員給与の引き下げなどの歳出削減。これらを盛り込んだ政策が最終的な方針として決まった。増税に対しては反対論があったものの、最終的には反対派を押さえ込む形で議論が進められた。

 

 

 

しかし、この増税政策は野党および多数の国民から強烈な反発を招くことになる。特に消費税の30%引き上げを絶対阻止するため、野党は国会内で声を張り上げ、乱闘騒ぎを起こした。これにより審議は継続できなくなるばかりか、多数の負傷者も出し、混乱を極めた。

 

 

 

国会の外ではさらに深刻な事態が待ち受けていた。議事堂付近では増税に反対する市民らと警官隊が衝突し、逮捕者が多数出ることになる。この衝突は日を追うごとに激化し、市民も武装して警官隊に突撃し、双方に死傷者を出す事態になった。ついには、警官隊に爆発物を投げ込む市民も現れ、永田町は血の匂いで満たされていく。

 

 

 

こうした状況に至って、政府もようやく事態の深刻さを把握した。国会での審議は一時中断とし、議事堂を閉鎖。始めから政策を練り直した上で審議を再開すること、政策の練り直しには野党側の議員と有識者を招き、連日連夜に渡って議論した。早朝から夜は日付が変わるまで徹底した議論が行われたものの、話し合いは遅々として進まないまま、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月も終わりに差し掛かっていた。